つくゑにゐちを | 待てど待てど 來る筈の人の來ぬ日なりき 机の位置を此處に變へしは |
さほどにもなきを | 顔あかめ怒りしことが あくる日は さほどにもなきをさびしがるかな |
こゝろぼそさを | 何處やらむかすかに蟲の なくごとき こゝろ細さを今日もおぼゆる |
きえゆくけむり | 空に消えゆく煙 さびしくも消えゆく煙 われにし似るか |
ともみなおのが | わがこゝろ けふもひそかに泣かむとす 友みな己が道をあゆめり |
こゝろかろくも | 絲きれし紙鳶のごとくに 若き日の心かろくも とびさりしかな |
きしべめにみゆ | やはらかに柳あをめる北上の 岸邊目に見ゆ 泣けとごとくに |
あきはなつかし | 父のごと秋はいかめし 母のごと秋はなつかし 家持たぬ兒に |
かのはまなすよ | 潮かをる北の濱邊の 砂山のかの濱薔薇よ 今年も咲けるや |
ことばはいまも | かの時に言いそびれたる 大切の言葉は今も 胸にのこれど |
じふごのわれの | 夜寝ても口笛吹きぬ 口笛は 十五の我の歌にしありけり |
ふるさとのやまは | ふるさとの山に向いて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな |
こゝろをどりを | 君に似し姿を街に見る時の こゝろ躍りを あはれと思へ |
またいつとなく | いつとなく我にあゆみ寄り 手を握り またいつとなく去りゆく人々 |
にぎればゆびの | いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあひだより落つ |
さはればゆびの | 秋近し 電燈の球のぬくもりの さはれば指の皮膚に親しき |
そらにすはれし | 不來方のお城の草に 寝ころびて 空に吸はれし十五の心 |
まちなどけふも | あたらしき心もとめて 名も知れぬ 街など今日もさまよひて來ぬ |
わがなげしまり | その昔 小學校の柾屋根に 我が投げし鞠いかにかなりけむ |
あるゆゑやらむ | 遠くより笛の音きこゆ うなだれてある故やらむ なみだ流るゝ |
つめたきものの | わかれ來てふと瞬けば ゆくりなく つめたきものゝ頬をつたへり |
てをやすめては | 寝つゝ讀む本の重さに つかれたる 手を休めては物を思へり |
めにはてもなき | ドア推してひと足出れば 病人の目にはてもなき 長廊下かな |
われなきぬれて | 東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる |
すなをしめしゝ | 頬につたふ なみだのごはず 一握の砂を示しゝ人を忘れず |
わきしなみだの | かなしきは 秋風ぞかし 稀にのみ湧きし涙の繁に流るゝ |
おもひでのやま | かにかくに澁民村は戀しかり おもひでの山 おもひでの川 |
しづめるかほす | 雨降れば わが家の人誰も誰も沈める顔す 雨霽れよかし |
こがらしよりも | 呼吸すれば 胸の中にて鳴る音あり 凩よりもさびしきその音 |
むかしのごとく | 夢さめてふつと悲しむ わが眠り 昔のごとく安からぬかな |
きなるはなさきし | 學校の圖書庫の裏の秋の草 黄なる花咲きし 今も名知らず |
ひとごみのなかに | ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聽きにゆく |
めとぢめをあけ | 塗のP戸の火鉢によりかゝり 眼閉じ眼を開け 時を惜めり |
ねられぬよるの | 目をとぢて 口笛かすかに吹きてみぬ 寝られぬ夜の窓にもたれて |
あのこゝろもち | 昨日まで朝から晩まで張りつめし あのこゝろもち 忘れじと思へど |
ぐわんじつのあさ | 何となく 今年はよい事あるごとし 元日の朝晴れて風無し |
ぬれゆくをみて | さらさらと雨落ち來り 庭の面の濡れゆくを見て 涙わすれぬ |
げたなどほしと | わかれをれば妹いとしも 赤き緒の 下駄など欲しとわめく子なりし |
ともにふみよみ | その後に我を捨てし友も あの頃はともに書讀み ともに遊びき |
とりついばめり | 愁ひ來て 丘にのぼれば 名も知らぬ鳥啄めり赤き茨の實 |
じふしのはるに | 己が名をほのかに呼びて 涙せし 十四の春にかへる術なし |
めにあをぞらの | 病のごと 思郷のこゝろ湧く日なり 目にあをぞらの煙かなしも |
ぐわいこくせんが | 波もなき二月の灣に 白塗の 外國船が低く浮かべり |
こゝろいたみて | ゆゑもなく海が見たくて 海に來ぬ こゝろ傷みてたへがたき日に |
もともわれなりしと | 負けたるも我にてありき あらそひの因も我なりしと 今は思へり |
そのたのしさも | 新しき本を買ひ來て讀む夜半の そのたのしさも 長くわすれぬ |
こゝろかすめし | 手套を脱ぐ手ふと休む 何やらむ こゝろかすめし思い出のあり |
くろきひとみの | 世の中の明るさのみを 吸ふごとき Kき瞳の今も目にあり |
にほひみにしむ | 取りいでし去年の袷の なつかしきにほひ身に沁む 初秋の朝 |
しうじんはゐて | 人といふ人のこゝろに 一人づゝ囚人がゐて うめくかなしさ |